東京高等裁判所 昭和37年(行ナ)83号 判決
一 本件特許第二三八、九五〇号発明の特許出願および特許登録の各日時が原告主張のとおりであることならびに原告主張の一、三の本件無効審判における手続経過、審決理由については当事者間に争いがない。
二、成立に争いのない甲第一号証(本件特許発明の明細書を掲記した特許公報)の記載特にその「特許請求の範囲」の項の記載によれば、本件特許発明は、「ビニール樹脂に対しその八〇~一六〇重量%の可塑剤を添加し、比較的低温にて加熱し、低度のゲル化を行わしめることを特徴とするビニール樹脂製字消しの製造法」をその発明の要旨とし(ビニール樹脂としては、塩化ビニール樹脂に限定していないが、実施例として記載されているものは、すべて塩化ビニール樹脂である)、ゴム製字消しに比較して字消しの効果が卓越し、摩耗性が少なく、透明性を有し、美観のすぐれた字消しを得ることを目的としたものであること、そして、「発明の詳細なる説明」の項において、前記「比較的低温にて加熱し低度のゲル化を行わしめる」点について、ゲル化の程度は温度の高低に大体比例し、加熱時間の長短による影響はきわめて少なく、大体摂氏一二五―一三五度の加熱によるゲル化が好適であるとしているが、実施例としては、塩化ビニールペーストレジン一〇〇に対し可塑剤を一二〇重量%添加したものを摂氏一二〇度で五分間加熱した場合を挙げ、摂氏一二〇度の加熱でも目的を達しうることが示されていること、さらに、経済的ならびに効果向上その他の見地から炭酸カルシウム、炭酸マグネシウムのような金属塩類あるいはそれらの酸化物その他硝子粉末、合成繊維粉末、澱粉、サプスチチユート、着色剤等をも適当に混合使用し得ること勿論である旨の記載も存することが認められる。被告は、ビニール樹脂に対する可塑剤の添加量に関する数値的限定の点は本件特許発明の構成要件をなすものでなく、実施上の設計条件にすぎないと主張するけれども、甲第一号証の公報に記載されているところによれば、右可塑剤の添加量が八〇重量%未満のときおよび一六〇重量%をこえるときは、全然字消し効果がなく、八〇―一六〇重量%の範囲内で可塑剤を添加した場合にかぎつて字消し効果を有する(右範囲内でも上限および下限の限界線附近の添加量をもつてした場合は、その中間値の添加量をもつてした場合に比すれば効果は劣るが、しかしともかく字消し効果を有する)製品が得られるという意味で、字消し効果の有無の限界を画するものとして前記数値を限定したものであることが明らかであるから、可塑剤の添加量を前記のように限定した点は、やはり本件特許発明の構成要件をなすものと解すべきである。
三、次に、成立に争いのない甲第三号証が特許第二一三、二五六号発明の出願公告公報(審決引用の特公昭和三〇年―一二七号公報)であり、本件特許発明の出願前国内で頒布された刊行物に該当することは弁論の全趣旨によつて明らかであり、この甲第二号証の公報には、「ペースト用塩化ビニール系樹脂に可塑剤及び安定剤を配合せしめて可塑化塩化ビニール樹脂となし、之に加硫ゴム粉末及び炭酸カルシウム又はクレーを混合し、該可塑化塩化ビニール樹脂の鎔融前の状態に於て成型せしむることを特徴とする字消料製造法」について記載されており、その実施例として、成分比につき、ペースト用塩化ビニール樹脂一〇〇、可塑剤六〇、安定剤二、加硫ゴム微粉末一〇、炭酸カルシウム一〇〇とした配合例およびペースト用塩化ビニール樹脂一〇〇、可塑剤五〇、安定剤三、加硫ゴム微粉末二〇、クレー一五〇とした配合率が示されていること、および製造作業の全工程を通じ摂氏一二〇度程度の温度で処理するものであり、これは塩化ビニール樹脂の溶融前の温度において処理することである旨の記載のあることが認められる(塩化ビニール樹脂の溶融前の温度において処理するというのは、本件特許発明において低度のゲル化状態において字消しを作るというのとほぼ同じことに帰着するものと解せられる)。
四、そこで、本件特許発明と右引例公報に記載せられた字消料製造法とを対比してみると、両者は、塩化ビニール樹脂に可塑剤を添加し、低温で加熱し、それが完全に溶融しないうちに成形するものである点では一致するものということができる。
ただ、前者においては塩化ビニール樹脂に対する可塑剤の添加量について八〇―一六〇重量%と限定しているのに対し、後者においては、右添加量を五〇%あるいは六〇%とする場合が例示されているにすぎない点ならびに後者においては可塑剤のほかに安定剤、加硫ゴム微粉末および炭酸カルシウムまたはクレーを混合することを構成要件として「特許請求の範囲」の項中に掲げている点において相違しているわけである。
しかしながら、引例公報に示されている可塑剤の添加量五〇%あるいは六〇%は、これに限定する趣旨でないことは明らかであり、安定剤、加硫ゴム微粉末、炭酸カルシウムまたはクレーを配合することが発明の構成要件とされてはいるけれども、炭酸カルシウムやクレーは主として製品の容量を増大せしめる目的で、この種製品の製造過程において常套的手段として使用されるものであり(このことは、本件特許発明の明細書にも、経済的効果等を考慮し炭酸マグネシウムその他を混合使用し得る旨記載してあることからみても諒解できる)、また引例公報の発明の詳細なる説明の項、特にその末段の記載に徴すれば、加硫ゴム微粉末は可塑剤の塩化ビニール樹脂中への分散化および製品の字消し効果の向上に役立てるために添加するものであることが示されており、要するに、塩化ビニール樹脂とこれに配合する可塑剤とを主要材料とし、安定剤、加硫ゴム微粉末および炭酸カルシウムまたはクレーを補助的ないしは補充的材料として、低温で加熱し、溶融前の状態すなわちゲル化の過程中において成形するという技術的思想が開示されているものということができるのである。
してみれば、右引例公報の記載に基づき、可塑剤の添加量を加減したり、また補助的材料を増減あるいは省略し、効果の優劣はともかくとして、多少でも字消しの効果を奏するに足る製品を得ることは、塩化ビニール樹脂の性質を知悉している当業者にとつては、少なくとも実験により、容易に到達し得るところといわねばならない。
原告は、本件特許発明における可塑剤の添加量は、引例公報に例示されているものと比較し格段に多量であり、引例公報の記載から容易に想到し得べき程度のものでない旨主張するけれども、引例公報に例示されている五〇―六〇%が塩化ビニール樹脂に対する可塑剤の添加量を示すものであり、補助的材料をも含めた総体に対する割合を示すものでないことは引例公報の記載からみて明らかであるし、右六〇%を本件特許発明において限定した可塑剤の添加量のうち八〇%と対比すれば、格段の開きがあるといえる程度の差でないことは明らかである。
五、そこで、本件特許発明においてビニール樹脂に対する可塑剤の添加量を八〇―一六〇重量%と限定し、この二つの材料のみで字消しを製造するものとしたことの効果として、特許に値するだけのものが存するかどうかについて検討する。
甲第一号証の公報の記載によれば、右可塑剤の添加量をそれぞれ六〇%、八〇%、一〇〇%、一二〇%、一三〇%、一五〇%、一七〇%とした配合物を摂氏一三五度(加熱温度として好適な範囲とされている)で五分間加熱したものについて、摩擦回数〔模造紙に1cmX3cmの矩形に線間隔1mmの縦横の細線を鉛筆(H・B)で書いたものを用い、その上を字消しで軽く摩擦しながら往復せしめ、鉛筆書きの線が消え去つた時の摩擦回数(往復)〕により字消し効果の試験を行なつた結果として、六〇%の場合は堅くてすべり字消し不能、八〇%の場合は五〇回、一〇〇%の場合は二〇回、一二〇%の場合は一六回、一三〇%の場合は一四回、一五〇%の場合は軟かく効果著減一七〇%の場合は軟かく字消し不能とあり、結局八〇%の場合は、「堅すぎて字消し不能」の段階を脱しており、一五〇%、一六〇%程度ならば軟かすぎて字消し不能とまではいえないというわけで、八〇%を下限一六〇%を上限としたものであることが認められる。しかし、右公報中加熱温度と字消し効果の関係について試験した結果を記述した箇所をみると、摂氏一四〇度で五分間加熱のものは消去に要した摩擦回数二八回であつたとして、摂氏一三五度を超える加熱温度は好適でないとしており、摩擦回数二八回も要するものは実験成績不良としていることが認められるから、前記可塑剤の添加量が塩化ビニール樹脂に対し八〇重量%の場合や一五〇重量%の場合は、字消し効果が皆無でないというだけで、その効果は劣悪なものであることを発明者自身も認めていたものということもできる。
さらに、成立に争いのない甲第五号証によると、財団法人日本輸出プラスチツクス検査協会が原告の依頼により、本件特許発明の実施品について、前記実験方法とほぼ同様の方法(但し、区画内の線は縦線のみ)で字消し効果の試験を行なつたところ、可塑剤の添加量が一五〇重量%のものは摩擦回数三回、五回、一〇回とも、鉛筆で書いた細線を消すことができたが、八〇重量%のものは摩擦回数一〇回でも消えなかつたことが認められ、また、原本の存在およびその成立に争いのない甲第七号証によれば、字消しゴムのJIS規格では、鉛筆用高級品では、摩擦回数(往復)四回で摩消部濃度着色線濃度が〇・三以下、鉛筆用普通品では、四回で〇・六以下でないと規格合格品として扱われないものであることが認められる。
以上を総合すると、本件特許発明における可塑剤の添加量が上限附近の一五〇重量%とか一六〇重量%とかの場合については若干疑問があるけれども、下限附近の八〇重量%程度の場合には、字消しとしての効果は劣悪なものと認めて妨げないものと考えられる。ところで、本件特許発明の効果の一つとして、従来のゴム製字消しに比較して字消し効果が卓越していることを挙げていることは甲第一号証公報の記載によつて明らかである(ほかに美観の点なども挙げているが、字消し効果の点が最も本質的な効果であるべきことは当然である)。もつとも、一面において前記のように、本件特許発明の構成要件をそなえた方法によつて製造したものでも、可塑剤の添加量が所定範囲の限界附近であるものは字消し効果が劣悪であることを出願人みずから認めていたと解されることと対照すると、字消し効果が卓越しているというのは可塑剤の添加量が所定範囲の限界に近いものを除き中間程度の添加量をもつて製造したものについていつているものとも解せられ、字消し効果の卓越という右の効果を本件特許発明そのものの効果として挙げている点は、それ自体矛盾を含むものであることを否み得ない。しかしともかく、本件特許発明の実施品の字消し効果について前記検討の結果によれば、少なくとも可塑剤の添加量が八〇重量%程度の場合には、劣悪な字消し効果しか得られないものと認めるほかはないのであり、一方甲第三号証によれば、引例公報記載の方法によつて製造した字消し料によつても少なくとも通常の字消し効果は得られるものと認めることができる。
してみれば、本件特許発明の字消し製造方法において、可塑剤の添加量を八〇重量%程度とした場合は、引例公報記載の字消し製造法によつて製造したものに比較し、少しもまさるところはないものといわねばならない。
六、次に、字消し効果以外の点についてみるのに、本件特許発明の効果として公報に記載されている摩耗性が少ない点については、原告も本訴において別に主張もしていないし、また引例公報記載のものに比し、顕著な差があるものと認めるに足る資料もない。さらに、透明性による美観の点について考察するに、本件特許発明の字消し製造法において、特許請求の範囲に記載されているとおりビニール樹脂に可塑剤のみを添加した場合には透明な字消しが得られることはこれを認めることができるけれども、この点は、引例公報が存在する以上、他の補助的材料を用いず、ビニール樹脂に可塑剤だけを添加し、低温で加熱し低度のゲル化状態で成形すれば、(どの程度に可塑剤を添加すれば字消し効果のすぐれた製品が得られるかという点は、しばらく別とし、ともかく)字消し効果を有する物が得られることに想到することは、当業技術者ならば必ずしも困難でないことは前に述べたとおりであつてみれば、その際得られる製品が透明性のものであることも、ビニール樹脂製品の性質に通暁している当業技術者にとつて容易に諒察できるところといわねばならない。なお、字消しが透明で見た眼に美しいかどうかということは、元来字消し材の有すべき効果としては、字消し効果に比較すれば第二義的な意味しかもたないものなのであるし、本件特許発明の公報にも、経済的もしくは効果向上の見地から炭酸カルシウム、炭酸マグネシウムその他の補助剤を使用し得べきことが記載されていることは、前記のとおりであるから、本件特許発明の字消し製造法において可塑剤の添加量を八〇重量%とし、その効果を補充する等のため、公報に例示されているような補助的材料を使用した場合をとつてみれば、引例公報記載の方法により六〇%の可塑剤を添加して製造した字消しと、その外観においてもあまり差異のないものとなるであろうことは容易に考えられるところである。原告は、透明性ということについて種々主張するところがあるけれども、この点だけによつて、本件特許発明に特許に値する発明があるとすることはとうていできない。
七、原告は、本件特許発明による製品が国内国外の市場において好評を博しているのに反し、引例公報記載の方法による製品は市場より姿を消し、同公報記載の発明の特許第二一三、二五六号も第七年分の特許料未納により特許権が消滅し昭和三八年四月九日抹消登録がなされていることからみても、本件特許発明の製品の方が格段に優秀であることが裏づけられる旨主張し、右引例発明の特許権消滅の事実は成立に争いのない甲第六号証によつて認めることができ、また真正に成立したものと認める甲第八号証(原告会社製品の消字試験成績表)と前記甲第七号証を合わせ考えると、原告会社製品(プラスチツクノダロンー)として市場に出ている字消しがJIS規格合格線を相当上廻わる字消し効果を有するものであることを認めることができる。しかしながら、本件特許発明を実施し、現実に製品としてこれを市場に出す場合には、その発明の構成要件をなす可塑剤の添加量の範囲内において最も効果がすぐれ需要者の要求に応ずるような条件を選定して製造するものであることは当然であるから、本件特許発明の実施品中字消し効果がすぐれ、また外観において需要者の嗜好に適するものが市場で好評を博し、引例公報記載の方法によつて製造された製品を市場から駆逐した事実があるとしても、そのことをもつて直ちに本件特許発明の効果が全体的に引例公報記載のものより格段に優秀であると認めるべき根拠とすることはできない。
八、なお、原告は、本件特許発明と引例公報記載の方法とについて製造工程上差異の存することを主張しているけれども、この点は本件特許発明の要旨に直接関係のないことであり、その特許性の有無に関する判断に影響を与えるようなものではない。
九、以上要するに、本件特許発明の特許出願前すでに引例公報が存していた以上、その記載から、ビニール樹脂に可塑剤のみを添加し、他の補助的材料を用いずに、低温で加熱し低度のゲル化状態において成形しても、字消し効果の優劣の点はこれをおくとして、ともかく字消し効果を有する製品で透明性のあるものが得られるということ自体は、当業技術者ならば容易に知りうるところであり、また本件特許発明において限定した可塑剤の添加量によれば引例公報記載の方法によつて製造したものよりも字消し効果が特にすぐれていて、それが、引例公報の記載から予測し得られ、あるいは実験の結果簡単に見出し得る程度をこえているというのであれば格別、右可塑剤添加量の限定範囲内でも、少なくとも八〇重量%程度の場合には、引例公報記載の方法によつて製造したものに比較して特にすぐれた字消し効果を有するものが得られるとはとうてい認められないのであり、むしろ字消しとして実用に供するに適する効果を有しないものともいえるのであるから、可塑剤の添加量の下限を八〇重量%とした点には、特許に値する発明が存するものと認めることはできないのである。
このように、本件特許発明の構成要件中特許に値する発明の存在を認め得ない部分を含み、しかもそれを含めた全体として一個の特許発明の内容を構成している以上(原告において、字消し効果の特にすぐれたものが得られるような可塑剤の添加量に、特許請求の範囲を訂正する訂正許可の審判を請求し、その旨の確定審決を得たような場合はしばらく論外とし、少なくとも本件においては、そのような事実を認めるに足る資料はない)、本件特許発明の特許は全体として、引例公報の記載から容易になし得るものに該当し、旧特許法第一条所定の特許要件を欠くものといわざるを得ない。それゆえ、本件特許発明の出願前に刊行された前記特公昭和三〇年―一二七号公報を引用し、本件特許発明は旧特許法第一条所定の発明に該当しないものと認めるべきであるとして、これを無効とした審決の判断は相当であり、原告主張の違法の点は認められない。
よつて、右審決の取消を求める原告の本訴請求は失当としてこれを棄却することとする。